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英雄の書:宮部みゆきさんの長編小説、英語版を刊行 格調の高い訳文に感動 英雄の書:宮部みゆきさんの長編小説、英語版を刊行 格調の高い訳文に感動

◇『THE BOOK OF HEROES』刊行 英雄の書:宮部みゆきさんの長編小説、英語版を刊行 格調の高い訳文に感動

◇訳者のスミスさん、ファンタジー世界が魅力/宮部さん、格調の高い訳文に感動

 宮部みゆきさんの長編小説『英雄の書』(毎日新聞社、上・下各1680円)の英語版『THE BOOK OF HEROES』が、アメリカの出版社ビズ・メディアによって刊行された。宮部さんの『ブレイブ・ストーリー』の英語版(同社)は、翻訳児童文学を対象とした2008年全米図書館協会バチェルダー賞を受賞。今回も国境を超えて読者を獲得しそうだ。

 『英雄の書』は07年1月から08年3月まで毎日新聞に連載された。その英訳は、『ブレイブ・ストーリー』に続いてアレクサンダー・O・スミスさんが手掛けた。

 スミスさんは米ダートマス大、慶応大を経て、米ハーバード大で日本文学修士号を取得。東京でビデオゲームの英語版制作に携わった後、フリーランスとなった。小説、ゲーム、漫画などの翻訳を幅広く続けている俊英だ。

 「『英雄の書』にはさまざまなキャラクターや場所が出てくるので、描写を統一していくところが仕事の大きな部分になりました」とスミスさん。「『黄衣の王』など19世紀のイギリス文学をベースにした要素もあったので、忠実に翻訳するために、もとになった短編小説も読むことになりました。こういった面白い発見もあるからこそ、仕事は奥深いものになり、やりがいがあります」と手応えがあった様子。

 宮部さんの小説の魅力については「ファンタジー世界の完成度が一番の魅力です。『英雄の書』は多層的な世界を描いているにもかかわらず、矛盾するところがなく、また無駄もありません。ミステリー作家が描くファンタジーといった感じがします」と分析する。

 ビズ・メディアのワシントン真澄さんは次のように語る。

 「『ブレイブ・ストーリー』が日本で出版された当時は、米国でも『ハリー・ポッター』シリーズなど長編ファンタジー小説の人気がピークを迎えていました。読んだ時、非常に特徴的な点があることに気がつきました。それは、物語が現実世界から始まり、主人公の等身大の日常が描かれていることです。現実に抱えている問題を打破することをモチベーションに、主人公がファンタジー世界で大きく成長していく。ストーリー展開のユニークさ、登場人物が抱える悩みの普遍性。きっと英米の読者にも受け入れられると考えました。『英雄の書』も主人公の現実生活から物語が始まっており、『ブレイブ・ストーリー』と同じ可能性を感じました」

 『英雄の書』の英語版は読者にアピールするため『ブレイブ・ストーリー』と判型・装丁について統一感を出し、カバーのイラストレーションも同じアーティストのダン・メイさんを起用。各ページの端にイラストが描かれ、それがパラパラ漫画として楽しめるようにもなっている。

 宮部さんは「格調の高いすばらしい訳文に感動しました。章のタイトルも、とてもかっこいいです。(小説の性格上)やさしい言葉で訳していただけたので、私もいろいろな部分を開いて楽しんで読みました」と喜んでいる。


Info:
2010-04-08 20:37

村上陽一郎・評 『マリー・キュリーの挑戦』=川島慶子・著 村上陽一郎・評 『マリー・キュリーの挑戦』=川島慶子・著

◇科学や社会と切り結んだ一女性の肖像村上陽一郎・評 『マリー・キュリーの挑戦』=川島慶子・著

 大書評の題材にする書物候補を机上に積んで考えあぐねていたとき、郵便が本書を届けてくれた。ぱらぱらとページをめくって、あっという間に引き込まれた。まず僕の頭に呼び覚まされたのは、戦後初めて親に連れられて観(み)た外国映画「キュリー夫人」の記憶だった。イギリス生まれ、ハリウッドで活躍したグリア・ガーソンが主演した映画である。

 あわてて、ネットで探してみると、DVDが入手可能とある。とりあえずは、それを観直してみる。この映画は、キュリー夫妻の娘エーヴ(「イーヴ」とも表記されることがある)の著した伝記に比較的忠実に脚色してある。本書も、この伝記の価値を大事にしている。書庫からこれもあらためて引き出して読み直しながら、DVDを観る。無論ハリウッド映画だから、パリが主舞台なのに、登場人物はすべて英語を話すし、映画的な潤色はある。その上、もとが娘の書いたものの上に、善(よ)き時代のハリウッド映画だから、夫妻が美化され過ぎているという批判はあり得るだろう。それでも、この映画はそれなりに今見ても面白い。

 とくに、冒頭ペロー教授の説得で、高等物理化学学校の教授であるピエールが、その研究室の一角を、一学生に貸すことを承諾し、それが女性であることを知ったときの、ピエールの<She!?>という一言に籠(こ)められた思い。その後研究室でマリーを迎える前に、助手と交わされる「女性は情緒的・感情的で科学には向かない」、「女性の科学者は魅力的ではない」などの会話は、直後に廊下で初めて美しいマリーに会った助手が、態度を豹変(ひょうへん)させたり、ピエールがマリーへの恋に陥ったりすることへの、映画的伏線であったのかもしれないが、まさに本書の著者が突き詰めたかった問題の一つを鮮やかに露(あらわ)にしている、という点でも面白かった。本書の副題「科学・ジェンダー・戦争」にもご注目。なおグリア・ガーソンは確かに「美人」だが、本書の著者の判断では、マリーは「そこそこの美人」ということになる。僕にはなんとも言えないが、それも著者の分析の一つの対象なので、本書を読んで確かめて貰(もら)うことにしよう。

 もう一つ、エーヴの伝記や映画を見直した理由の一つは、本が特にページを割いている、ピエールの死後、彼の愛弟子であったポール・ランジュバンとマリーとの出来事である。フランスでは、社会的に騒がれたと言われるこの出来事を、僕は不勉強ながら知らなかったし、エーヴの伝記でも全く秘されているし、映画でもノータッチであった。これも慌ててネットで入手した、ランジュバンの伝記として日本語で読めるほとんど唯一のもの(前々から読んでみようとは思っていて未読だった)ニキーチナ著『ポール・ランジュバン伝』(伊藤隆訳、水曜社)で確かめても、一切触れられていない。余計なことだが、このランジュバンの伝記は、スターリニズムの残る一九六二年のソ連で出版されたものだけに、いささか辟易(へきえき)させられる政治的メッセージに満ちている。

 無論本書の著者は、三面記事的な興味で、ランジュバンとの出来事を描いているわけではない。むしろ、独立し、自立し、成熟した一人の人間としてのマリー(本書の題名が「キュリー夫人」ではなく「マリー・キュリー(の挑戦)」であることに留意したい)を描出するための大切な素材として扱われている。

 無論よく知られているラジウムの発見を中心とした研究と、二つのノーベル賞に輝くまでの有様も過不足なく描かれるが、そうした個人史が社会の激変と巧みに結び合わされて描写されているのも、本書の特長だ。

 第一次大戦の勃発(ぼっぱつ)とともに、かつて「物理と数学とポーランド」だけが自分の愛する相手だ、と言ったほどの祖国ポーランド(政治的には極めて複雑な状況があって、それも、本書では詳しく述べられている)も、第二の祖国になったフランスも苦境に立つ。彼女はX線撮影のための移動車を前線に送ることに奔走する。著者は、戦争が、男性社会において女性の可能性を容認させる契機となっていることを鋭く指摘しながら、そこから生まれてくる医療への放射線の活用とともに、その人間への恐るべき加害性との関連への問題と、マリーや娘の一人で協力者になるイレーヌの意識を解きほぐす。あるいは他国よりもフランス社会自体が、差別感からマリーをアカデミーの会員に選ばなかったエピソードにも触れられる。

 もう一つの観点は、アインシュタインとの関連、というよりは、彼の最初の妻であり、客観的にはピエールとマリーとの関係に似ていたと思われる、ミレヴァの評価である。ここでの著者の分析は面白い。このほか、娘イレーヌの結婚相手となったフレデリック・ジョリオへの言及などにも、著者独自の見解が盛られている。最後には当時の衣装などにも言及されていて、流石(さすが)「女性の視点」と書いたら、とたんに著者から叱(しか)られそうだが、なかなかの読み物に仕上がったという感が深い。


Info:
2010-04-07 19:35

松原隆一郎・評 『フリーフォール』=J・E・スティグリッツ著 松原隆一郎・評 『フリーフォール』=J・E・スティグリッツ著

◇急降下する米国経済への職人芸的診断書『フリーフォール』=J・E・スティグリッツ著

 「情報の非対称性」論で知られるJ・スティグリッツは、実務家としても90年代には世界銀行で副総裁や主席エコノミストを務めた。そのころ世界経済において規制緩和やグローバリズム、成長戦略やイノベーションをキーワードとする新自由主義が支配的で、アメリカではブッシュが減税に邁進(まいしん)、日本でも小泉=竹中の構造改革が一世を風靡(ふうび)したことは記憶に新しい。

 スティグリッツはいまなおもっとも有力な経済学者でありながら、市場の万能性を信じるフリードマン流の新自由主義には懐疑的で、適切な政府の介入を唱えて好況時のアメリカ経済に対してもことあるごとに批判を加えてきた。金融システムが乱発する住宅ローンや証券化商品は「詐欺」、イノベーションは「規制逃れ」、成長はバブルに過ぎないとして、連邦準備制度理事会(FRB)には金融引き締めを求める、といった具合にである。

 本は金融危機を予言し的中させたスティグリッツが、みずからの経済理論にのっとりアメリカ金融危機の原因を分析、オバマ政権の対策をも診断した書である。現政権に対する判断は、未曽有の危機に直面したというのに「市場は自律的」との信念を捨てず、世界中を恐慌の淵(ふち)に追いやった当事者である政策担当者や銀行幹部に経済再生を任せ、当然ながら既存システムの温存に終始している、と激辛だ。ありうべき抜本改革がなされなかったためバブル再来も必然だ、と見るのである。

 スティグリッツは、そもそも市場が自律性を有するにはいくつかの条件があるという。条件が無視しうるなら、市場は新自由主義が言う通り万人を豊かにする。とりわけリスクは証券化を通じて細分化され、世界に吸収されて無害になる。ところが現実には、条件は満たされていない。

 ひとつは「情報の非対称性」。住宅ローンの借り手は貸し手の複雑な説明を理解しておらず、住宅価格が暴落するとローンが払えず住まいを奪われた。「情報弱者」が搾取されたのだ。二つめは「代理人問題」。デリバティブ等の証券化により、当事者ではなく費用もリスク負担もしない人が貸借の決断にかかわって、モラル・ハザードが生まれた。三つには、「外部性の増大」。投資銀行と伝統的商業銀行の兼業を禁止した規制(グラス=スティーガル法)は撤廃され大銀行が出現、国民の預金を元手にハイリスクのギャンブルに走った。そのうえ巨大銀行は「大きすぎて潰(つぶ)せない」と開き直り、救済を仰いでいる。

 それゆえにバブルを察知すれば冷や水を浴びせ、危機に際しては銀行の株主と幹部を退場させ、預金者を守り規制を強化するといった政策の介入が必要になる。国民全体のためになる低コストの資金決済システムと優良な住宅ローン制度こそを目指す抜本策をオバマは講じるべきだったが、実際に招いたのはAIG等の銀行に税を財源として公的資金を注入、しかし資本強化には用いられずに幹部のボーナスに流用されるという事態だった。

 三月以降、アメリカで経済統計の数値が改善したという見方もあり、日本でも株価に動きが見られる。しかし病巣を残したままのアメリカ経済の「急降下(フリーフォール)」は続く、と本書は締めくくっている。

 新自由主義の政策論は一つしかない。「規制緩和」である。対照的に市場に制約を付す著者の立場だと、見立ては多様になる。それだけに繊細な観察と複雑な推論、正義を求める情熱と大胆な判断が必要とされる。それらの絡み合った職人芸が披露された一冊である。


Info:
2010-04-06 21:14

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